榛名
「逃げなかったことだけは褒めてやる!」
指定された時間より少し早く来ると、道場にはすでに奴が仁王立ちで待っていた。
「お前、時間に結構正確なんだな」俺は関心して言う。
「それがどうした!」
「いや、いいコトだと思ってな。時間をきちんと守れるってのは人間として大事なことだ」
「そ、そんなコトは今関係ないっ!」
「ああ、そうだったな。…で、一体何」
「一体何とは何だ!」
「『何だ』って…。お前が俺のこと呼び出したんだろ?」
「は? お前だろう?俺を呼び出したのは!」
「え? 俺?」
「これを見ろ!」
奴が道着の懐から汚い紙を取り出す。
読んでみると、左手で書いたとおぼしき下手くそな字で、奴を呼び出す内容が書いてあった。
「いくらなんでも、俺はこんなに字が下手じゃないぞ」
言いながら、俺も届いた手紙を取り出した。
成程、夜叉の中に俺たちが仲たがいをしていると思って気を利かせた者がいるらしい。
俺が渡した手紙を一通り眺めた奴が手紙を突き返す。様子から見ると筆跡に心当たりはあるらしい。
「勝った方が負けた方になんでも言う事を聞かせるってのでどうだ」奴が言う。
「なんでも…って、なんだ」
「なんでもだ!」
俺が訊ね終わるよりも先に、叫びざま奴がつかみかかってきた。
俺はいなしがてら後ろに飛ぶと、そのまま道場の端まで奴に押された。
相変わらず力が強いので、油断はできない。襟が絞められるが、ただで絞められるわけにもいかないので、袖をとって抵抗をしつつ、相手の隙を窺う。息が詰まるようなやりとりの中で奴が足払いをかけてきた。かろうじてかわすと、俺は数歩ひいた足に体重をかけて力任せに奴の体を持ち上げる。奴のかけた足払いが重心の移った足だったら俺は間違いなく体勢を崩していたはずだ。しかし、運よく俺は体勢を確保したまま奴の体を押し上げることに成功した。
「くっ」
「うおおおおお!」
持ち上げた奴が全力で抵抗するのを投げるとそのまま押さえつけ、一瞬空いた腕を取ると逆に固めて決める。
もとより折る気はないので必要以上に力を込めることはないが、数秒後、奴は抵抗をやめた。
「また…負けちまったな」
天をあおいだまま、奴がつぶやく。
「紙一重の差だ」
「いや、貴様には何故か勝てない」
道場の畳に、ごろりと奴が転がり、背を向ける。
「…貴様の勝ちだ。好きにしろ」
「それじゃ、こうしようか」
俺はふと思いついてある提案をした。
勝負で勝った俺が出した条件は、次の日曜日にいつもの神社で落ち合うこと。それだけだった。
そして日曜日。
やはり時間より早く来ていた奴が神社で俺を待っていた。
「やっぱ時間に正確だな」
俺が褒めると、奴はぷいと顔を背けた。
「負けたからな」
「なんだ。こないだのことを気にしてんのか?」
俺は隣に座って、弁当を広げた。
「勝負のことなら、気にしないでいいのに」
馬鹿だな、と言おうかと思ったが、止めておく。
「またお前弁当か?それもまた…」
奴が不満そうな声を出す。
「今日の弁当は全部俺が作った」
空はあきれる程の青空。
俺が言うと、奴はようやく笑顔を見せてくれた。
了
★ あとがき ★
やっちゃった! ということで実写化記念に一冊くらい作ってみようという、実写がなければありえなかったカップリングで…人生出すとは思っていなかった劉×黒本からの再録です。
最初は富士というタイトルでした。今回は妙義赤城榛名の上毛三山です。劉黒ということで山の名前でサブタイトルつけてみました。他の候補は黒岳とか天城とか筑波とか蔵王とか(笑)。男体(山)ってのは…流石にきつかったのでスルーしたことは内緒です。
落ちは、ラブコメだけにラブ米…って 劉黒だけに石投げないでーっ!
ありがとうございました!(初出・2008 5月 再録・2011 5月)