緑陰
「項羽?」 大きな声で呼び止められて小龍は足を止めた。 「お前、こっちに来るなんて、聞いてな…」 腕を掴みそうな勢いで駆け寄る青年の前に霧風が立った。小龍を呼び止めた青年は、霧風の間合いを読んだらしく、滑るような動きで一歩後ろに下がった。身のこなしからいっても、それなりの使い手だろう。
「…どこかで、お会いしましたか」 小龍が穏やかな様子で聞き返すと、青年の顔色が変わった。 「…もしかして、弟さん?」 自分を弟だと言い当てたということは、項羽が自分の存在を話している相手だと見当がつく。
小龍は取りあえず、営業用の笑顔を作った。 霧風はまだ警戒を解いていないが、青年は素直に謝罪をした。
「すいません、話では伺っていたのですが、風魔の弟さん…ですね。よく似てらっしゃる」 小龍が頷くと、ようやく青年が笑った。
「壬生、攻介です」
端正な、といっても構わない切れ長の瞳を持った青年は丁寧な印象だったが、直感的に兄とそれなりの付き合いをしていることは感じられた。そうでなければ、あんな切羽詰まった声で兄の名前を呼んだりしないだろう。真面目そうな人だ、と思う一方で、兄とどういう付き合い方をしているのか、心配にもなる。
「…せっかくですから、お茶でも」 霧風が明らかに嫌な顔をしたが、兄思いの小龍は、この壬生という青年から話を聞かねばならないという義務感にも似た思いを持っていた。
霧屋敷の小龍と名乗るようになってからしばらく経つが、兄の私生活は時々ひどく逸脱している。昔から奔放なところはあったのだが、最近はちょっと焦げ付きがあって、街を歩いていた小龍に刃物を持って斬りつけて来る女性が立て続けに二人いたばかりなのだ。こればかりは同じ顔をしているとはいえ、勘弁して欲しい。 更に、昔から多少その気はあったのだが、男性にも構わず手を広げているところもあり、先日も項羽のせいで四角五角関係と大修羅場が繰り広げられたばかりなのだ。最後はいつもの甘い声で、「お前じゃなけりゃみんな同じなんだよ」と、同じ顔の弟の首に抱きついてくるものなのだから、修羅場のメンバーの目はこちらにくるし、霧風の態度も硬くなるし、迷惑この上ないのだ。 それでもやはり小龍にとって兄が大切なのことは変わりないのだが。
「兄貴と付き合うのは、やめたほうがいいですよ」 ウェイターの置いた珈琲を飲んで小龍が口を開くと、青年がむせた。 やっぱりこの人にも手を出していたか、と小龍は心の中でため息をつく。
「悪いことは言いません。身内の者が言うのもなんですが、兄は少し壊れたところがありまして」
「それでも」
目の前の青年が息をつめたのを小龍は感じた。
「…どうしようもないんです」
じゃあどうしようもないですね、と小龍は言いかけてやめる。
結局、人がやめろといってやめられるものではないし、これだけの人なのだから、やめられるものならとうの昔にやめているはずなのだ。
「…ご迷惑をおかけします」
小龍が小さく頭を下げる。 青年はどこか寂しそうに笑うのだけれど、不思議に幸せそうで、困ったものだと思いながら小龍は居住まいを正した。
明るい喫茶店の中庭の緑越しに、涼しい風が吹いている。
(20060417)
あたし兄弟とあまり似てないので、外で兄弟姉妹と間違われたことないんですが、羽根兄弟は日常茶飯事なんだと思いますよ。
こちらのシリーズは当然というかなんというかドラマ以前に書いていたこともあって、今読み返すと改めて「なんでこの二人」とは思うのですが、項羽に振り回される人生ってのもいいんじゃないかとか思いながら書いていたことは内緒です。
(up:20060611)
2006/06/11(Sun) 17:25
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