水鏡
顔色がいいと言ったところ、その前に麗羅にも同じことを言われたと言って小龍は小さく笑った。昨晩は久しぶりに熟睡できたのだという。麗羅とは一時期喧嘩していた様子だったが、最近仲直りをしたようだったので霧風は少し安堵している。
「それはよかった」
「夢をみたんだ」
「どんな?」
「…風が吹いてくる夢」
「そうですか」
小龍の頬に血の気がもどっているのが嬉しくて、霧風も柔らかな笑顔になる。
今日は七草の日で、朝から若い衆は男衆と娘衆に分かれて早春の野に出て若菜を摘む古風な風習がある。じきに劉鵬が手に人数分の竹かごをもって待ち合わせの場所に現れた。寝坊した小次郎を竜魔が連れてくると、だいたいいつものメンバーが揃う。
「お、なんだ小龍、顔色がいいようじゃな」
「みんな言うな、俺そんなに普段顔色悪いか?」
「うむ、そういうわけではないが」
くちごもる劉鵬が間の悪そうな顔をしたので、琳彪がことさら明るい声をかけた。
「さ、そろそろ行こう。娘衆に遅れを取るわけにもいかないからな」
今年の若菜摘みは東の羽根屋敷の外側が若い衆の担当になっていた。
「ぼくん家の庭の方がたくさんあると思うんだけどな」
「麗羅の庭で摘んだらずるっこになるだろ」
やはり珍しく小龍が華やいだ声をだす。
「羽根屋敷にだって薬草苑があるじゃない、そこで摘んでさっさと終わらせちゃおうよ」
麗羅がやり返していると、琳彪がこらこらと言って間に入った。
「さ、その辺までにしろ。時間までに里のみんなの家の分を摘まねばならないからな。」
「小川の方までいくかのう」
劉鵬ものんきな声を出す。
風がなんとなく違う。
「春が来るんですね」
霧風が声をかけると、小龍が小さく頷いた。
二年経つんだ、と霧風は思う。
あの時は、その後雪が降った。
雪の中の鮮血の記憶。
草の焦げた匂い、帰って来ない人の記憶。
何事もなかったかのような、穏やかな日々が、かえって欠けたものを思わせる。
「…」
屈んで草を摘んでいた小龍が顔を上げていることに霧風が気がついたのは、しばらくたってからだった。
小次郎も先ほどから丘の上の一点を見つめている。
「誰だろ」
小次郎が目をすがめた。
見慣れない青年が立っているが、逆光でその姿はよく見えない。
「・・・小龍?」
霧風が制止する前に、小龍が迷わず駆けだした。
「よせ、小龍!」
劉鵬が叫ぶ。まさかそんなはずはないのに。
小龍を追おうとした霧風の腕を竜魔がつかみ、制止する。
「幻術か?」
霧風が聞くが、竜魔も信じられないものを見ているといった表情で丘の上を見る。
「・・・項羽だ」
小次郎が呆けたような声を出す。
小川の中に、2年ぶりに互いの半身を確認した兄弟の姿が映る。
項羽が、風魔の里に帰ってきたのだった。
(「水晶」に続く)
項羽帰還。
物語が動き始める…、はず。
2007/02/11(Sun) 00:21