水蓮
「今日の任務はどうしたんですか」
「もう終わった。…お前は?」
霧屋敷に顔を出したのは小龍だった。
縁側で一人読書をしていた霧風が細い顎を上げる。
「わたしは今日は休暇です」
「いいな、特殊系は」
「皮肉を言わないでください」
「いや、皮肉じゃなくてさ」
霧風のような能力者は特殊系と呼ばれ、ひとつの任務の後は必ず休暇が保証されている。とはいえ、現在特殊系として一線にいるのは霧風と焔屋敷の麗羅の一族くらいであるから、時々皮肉られる事があるのだ。
「・・・時間があるなら、夕食でもどうですか。母が喜びます」
「そうだな」
小龍が曖昧な返事をする。彼の曖昧な返事には既に慣れっこになっている霧風は、縁側から立ち上がると着物の裾をそっと払った。
「少し歩きますか」
「池で花が咲いていた」
「じゃあ、そちらに行きましょう」
花や植物一般に詳しいのは、毒物を扱うこともある羽根の一族らしいことだったが、それを差し引いても小龍は植物に詳しい。
そういえば、彼はごく小さいときから植物学や薬草学で常に首席だったことを霧風は思い起こす。
「蓮、ですか」
「睡蓮だね」
蓮と睡蓮の違いは霧風には分からない。
霧屋敷の裏手には鬱蒼とした沼があり、沼の上には清水の沸く池がある。いつのまにか池には純白の睡蓮が咲き誇っていた。
「本当は、咲くの夏なんだけどね」
「季節が狂ってますか」
「うん。…今年は冬が暖かいから」
「綺麗ですね、切って持って行ったら母が喜ぶでしょうか」
「おば様が喜ぶなら、俺取ってこようか」
「汚れませんか?」
「かまわないさ」
言いながら小龍が狙いすまして小さな羽根を投げると、水中の茎が切れたらしく、大降りの花がゆらりと傾いだ。靴を脱いで、取りに入ろうとする。
「睡蓮の和名を知ってる?」
「睡蓮はスイレンじゃないんですか」
「未草っていうんだよ」
「ひつじぐさ?」
「未の刻に咲いて、閉じるからなんだって」
そんなことを話しながらぬかるみの中に入っていった小龍が大輪の花を取って池からあがってきた。
「結構泥がすごいな」
「汚れてしまいましたね」
「構わん。洗えば落ちる」
そうだ、どんなに汚れようとも、泥が中まで染み込むことはない。洗えば泥は落ち、もとの姿に戻るのだ。
泥の中から凛として汚れを知らずに咲き誇る睡蓮と、泥の奥で滾々と湧く泉の姿を、何かに重ねて、霧風は何かを願っていた。
睡蓮は午後閉じることから、眠る蓮、ひつじぐさの未の刻は午後2時くらいのことで、これもまた午後花が閉じることからきているそうです。
世の中の泥の中からまっすぐに汚れを知らないかのように咲く蓮の花を、古来より人は愛でたのでした。
(up:20070127)
2007/02/11(Sun) 00:21