残滓
霧風は朝一番で里に帰ってきたので、数時間仮眠を取ると、昼からの召集に間に合うように本陣に向かった。 「…アレはお前か?」 広間に入る前に琳彪につまかって、廊下の隅にひっぱられた。 「なんのことです」 「いや、霧風は今朝まで任務だから違うだろ」 兜丸が難しい顔をする。 「…だから、なんのことですか」 話がつかみかねて少々むっとして霧風が重ねて聞き返すと、琳彪が広間をあごでしゃくってみせた。 「見た方が早い」
「小龍、その格好はなんだ」 広間では総帥が小龍の前に立っている。 「本日は忍び装束で来るようにとの但し書きはありませんでしたが」 答える小龍は珍しく私服姿で、襟元の大きく空いたニットを着ている。 だらしない服装を好まない小龍にしては珍しい、と思ったのは最初だけで、すぐに首の紅い痣に目がいく。
「な…」 「ほら見ろ、霧風じゃねえだろ」 うとたえた霧風を確認して兜丸が言う。 「どう見てもキスマークだよな、アレは。あいつ一週間休んで何してたんだ」 琳彪が頭を抱える。 「一週間も休んでいたんですか?」 「ああ、お前の任務と入れ違いで体調不良、って届けが出てた」 兜丸が答える。休むのはよい。だが、休み明けに小龍がそんな姿で本陣に顔を出したことに誰もが度肝を抜かれているのだった。 「ナニしてたんだろうな」 ぼそりと劉鵬がつぶやく。 「いや、劉鵬。今ソレ笑える気分じゃねえから」 「誰か聞いて来いよ、気になってしょーがねえ」 「いや、無理だろそれは」 「…」霧風はまだ絶句したままで。
総帥に何か言われた後で、小龍が戻ってくる。霧風に気が付くと、顔をあげた。 「ああ、霧風。おかえり」 「ええ」 「今朝までだったんだろ?任務どうだった?」 「どうって、…別に」 「ふうん。ま、あとで報告書拝見するよ」 隣いい?と聞いて小龍が霧風と琳彪の間に腰掛ける。兜丸がお前聞けよ、と目で促すが、もちろん霧風にそんなことを問いただす勇気はない。 一瞬気になって麗羅を目で捜すと、縁側の近くで不機嫌な表情をしたまま庭を眺めている。
「うぎゃー遅れたー」 「また寝坊か」
にぎやかに入って来たのは小次郎だ。 なんとなくほっとした声を出したのは劉鵬。
「どうしたらこの時間まで寝ていられるんだ」 竜魔が小次郎の首をつかむ。 「眠いんだもんよー」 「いいから座れ」 「はいよっ」
「おはよーみんなー」 ちょこちょこと小走りでやってきた小次郎が、小龍たちの前まで来ると、大きな声を出した。
「おわ!なんだそれ小龍スゲーなそのキスマーク!どしたのそれ、相手誰!」
広間にいた全員が聞きたかったことを一気に聞いて小次郎が無邪気に座り込む。
「…内緒」 婉然と、と言っていいほどの表情で小龍がゆっくりと言った。
「へー、最近の女の子はスゲーんだなー。メルヘンだなー!いいな、俺にも紹介してくれよー」 しきりに感心した小次郎の頭越しに、竜魔が学ランの上着を投げた。
「小龍貴様、これ着てろ。目ざわりだ。小次郎、お前はこっち来て座ってろ」
風が動く。
打ち合わせなどほとんど耳に入らない状態で短い会合は終わったのだが、報告書の関係で少し遅れて本陣を出た霧風は人の気配に足を止めた。
「あれ、ぼくだよ」
麗羅が本陣の大木によりかかってこちらを見ていた。
「麗羅」 「霧風が任務で一週間帰ってこないってわかっていたしね。薬盛って監禁陵辱のかぎりを尽くしてみたんだけど」 「監禁って…貴方」 「駄目だったみたい」
麗羅の少女のような口からほど遠い単語に、霧風が言葉を失っていると、相手はにっこりと笑った。
「冗談だよ」
乾いた熱い風が吹いて、麗羅が姿を消した。 項羽が居なくなって、2回目の春が近づいている。
(20060314)
up;20060708
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