残月

残月


月やあらぬ 春やむかしの春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして


「伊勢物語ですか」
「お、さすが霧風、博学だねえ」
「貴方が言うと嫌みですよ」

霧風に言われて、麗羅は肩をすくめてみせてたが、すぐに真顔になって、小龍の書いた書き初めに目を移した。

「こういうの書かれると、きついね、正直」
「…一年経つんですよ」
「あいつにとっては、まだ一年、なんだよ」
 言いながら麗羅が目を伏せる。
 長い睫毛が影をつくる。


  羽根屋敷の長男が姿を消してから、最初の春が巡ってきていた。



 項羽に関しては、里の者は誰も死んだという言葉を使おうとしない。
 またどこからかひょっこりと帰ってくるのではないかと誰も心の中で感じているようで、項羽がいなくなったと、自然にそういう言い方をしている。

 確かに背格好のよく似た一つ違いの小龍が羽根屋敷を継いで兄以上の働きをしていることで、里ではまだ項羽がいつもの悪ふざけで姿を消しているだけのような感覚があった。羽根屋敷では項羽の部屋がまだそのまま残されているという。


 あのあと、竜魔を始め何人も項羽の遺体を探しにいったのだが誰も項羽の遺留物を見つけ出すことはできなかった。証拠がない、と小龍はいまだに兄の死を認めてはない。



 しかし、項羽はいないのだ。



「書き初め?」
小次郎がのぞき込む。
「去年金賞取ったの麗羅じゃなかったっけ。今年小龍なんだ。なんて書いてあんの」

仮名まじりの草書で書かれた墨痕鮮やかな半紙には小さな金色の紙が貼り付けてある。

「伊勢物語ですよ」霧風が短く答えると、小次郎が首をひねった。
「ふうん、意味は?」


「…月は昔の月ではないのか、昔のままの月だ。春はむかしの春ではないのか、昔と同じ春だ。それなのに、変わった。わたくしの身一つはもとのまま、 …あの人はもういないのだから。」
 麗羅がそらんじる。

「…項羽のこと?」
 小次郎が背伸びをして、小龍の書き初めを眺めた。

「もともとは伊勢物語で、恋人が手の届かない宮中に上がってしまって、二度と会えないことを歌ったものです」
「ふうん」


 我が身ひとつは もとの身にして。
 霧風が口の中で歌を詠む。



    項羽はもう、ここにはいないのに。



青白い残月が、黙ったまま宙に浮かんでいる。







(20060214)












本編とはパラレルで、項羽だけ死んでいます設定です。
小龍は最愛の兄の死を受け入れていません。受け入れることなんてできない。
半身って、そういうもの。
周囲はそんな小龍の姿を気持ちいっぱいにしながら見つめているという。

シリアスにシリーズ開幕。



 up;20060216





2006/02/16(Thu) 19:28