風船
宙に浮く風船がどうしても欲しいと小桃が言い出して、東京に行ったついでに総帥がヘリウムガスの入った風船を幾つかお土産に買ってきたのは三日ほど前のことだった。
大喜びの小桃が土曜日になったので友達に見せびらかそうと持って外に出たときに、案の定紐は少女の手を離れ、風船は高い枝にひっかかってしまったのだ。
「危ない」
一緒に見上げていた霧風が声を上げる。
項羽が羽根で二つのうちひとつ突き割ったものだから、小桃は先ほどから泣き止まず、小次郎があやしている。項羽がわざと風船を壊したのだと感じているのは霧風だけではないと思うのだが、それは置いといて、とりあえずもう一個の風船を取るため小龍が松の木に登っているのが現状である。登るまではよかったのだが、細い枝に体重を移したところ、枝が嫌な音を立てたのだ。
もう少し、というところで手が届かないのを見て、小龍が思い切って体を伸ばす。
次の瞬間、体重に耐えかねた枝が折れ、小龍の体が落下した。
周囲で見ていた数人が悲鳴に似た声を上げる。
「劉鵬!お前、行け!」
項羽が劉鵬の巨体を蹴り飛ばし、弟を受け止めさせようとした。
よろけた劉鵬はそれでも前に手を伸ばしたが、着地しようとしていた小龍は目測を誤ったらしく肩から落ちる形になった。
「小龍!大丈夫か?」
あまりのことに小桃が泣き止み、小次郎が少女を離れてうずくまる小龍のもとに駆け寄った。
「…いきなり出てくるな馬鹿劉鵬!」
小龍が肩を押さえたまま低くうめく。それでも彼の手にはしっかりと風船が握られていた。
「俺じゃない、項羽が…」
「うまく受け止めろよ馬鹿劉鵬」
項羽はけろりとして小龍の手から風船を受け取ると子桃に渡す。
「ほらよ。今度はなくすなよ」
「…貴方って人は…」こめかみを抑えたのは霧風だ。
「それよりほら、小龍、肩見せろ。変な落ち方しただろ今」
項羽が小龍の肩に手を当てる。
「そうですよ、大丈夫ですか」
霧風も覗き込むが、小龍は痛むのかまだ顔を上げない。
「見せろって言ってんだろ」
項羽がかまわず小龍の上着のボタンを外す。
「痛いってんだろ、乱暴にすんなよ兄貴」
「騒ぐな」
そのまま、シャツまで脱がされて鎖骨が露になるが、折れてはいない様子だった。
「ただの打ち身だ。よわっちいなあ」
「…誰が発端です」
「小桃が紐を話すのが悪い」
霧風の皮肉を、項羽があっさりとかわす。
「まったく、もう」
霧風が傍若無人な項羽の態度に多少腹をたてて、小龍の肩に上着をかける。赤くなってはいるが、たいしたことがなくてよかったと思う。
「ありがと」
上着をかけた手に、小龍のそれが重なる。その瞬間に、霧風ははっと見てはいけないものをみたような意識にとらわれて、手を振り払った。
「…あ、ごめん」
小龍が謝る。
「い、いえ」
「霧風、それ失礼だろー」
小次郎にまで突っ込まれる。
まさかなめらかな肩から胸の線に動揺しただなんてことは口が裂けても言えはしない。
「霧風って、親切なんだけれど」
その後、何かのついでの時に小龍がいつものように首をかしげて言ったことがある。
「こっから先は絶対踏み込ませない、ってトコあるよね。…なんで?」
上目で聞かれて、霧風は心臓が零れ落ちるかと思いながら、好きだからに決まっているじゃないですか、とつぶやいてしまいそうになっていた。最近このままで居られる自信がたまになくなる。そんなことを口に出したら最後、小龍はきっと目をまあるくして(それはそれで見てみたい気もするのだが)、そのまま風船みたいに飛んでいってしまうと思うので、とりあえず曖昧な笑顔を作る。
「そんなことないですよ」
風船を壊さないまま、どこにも飛んでいかないように自分の近くにおいておく方法は無いものだろうか。そんなことを考えている自分がいることに最近気がついている。
(2060203)
風船みたいな子を好きになるとつらいよね。
でも風船みたいだから好きなんだよね。
飛べない風船だったらやっぱり好きになっていなかったと思うんだ。
などとそんな一日のこと。
(up:20060626)
2006/06/26(Mon) 15:06