熊笹
「小龍かどうかは自信がないけれど、たぶん裏山に行ったのがそうだと思うよ」
麗羅がはなはだあやふやな証言をした。
「自信がないって、どういうことです」
霧風が尋ねると、麗羅が首をかしげた。
「うーん。多分小龍じゃないかな、とは思うんだけれど、項羽かもしれない」
「見ればわかるでしょう」
「そうでもないよ。遠くからみると、最近間違う」
霧風にはよくわからないのだが、小龍と項羽は傍目にはよほど似ているらしい。
「小龍、背とか伸びたでしょ、前は項羽の方が大きかったけど。 …それに」
「それに、なんですか」
「熊公と一緒だったんだよね。だから項羽かもしれない」
「熊公って」
言いながら霧風が笑った。
熊公とあだ名がついているのは柔道の師範で、けむくじゃらの大男だった。
熊公などというあだ名がつくだけあって、声だけ大きい、不格好な師範だった。
「柔術は項羽だろ、小龍は剣術だから。熊と一緒だったから、項羽かもしれない」
麗羅の言うことにようやく合点がいった。
「なるほど」
「ただ、最近小龍も柔術やってみようか、なんて言っていたのを聞いたことあるから、その話かもしれない」
のんびりと麗羅が言う。
彼は焔の一族の中では、比較的おっとりとした性格だ。
まあ、キレたときは別なのだが。
「柔術は結局やらないと言ってましたよ。その代わりに合気道に興味持っているらしいです、最近」
「ふうん。じゃあ、やっぱり項羽だったのかなあ」
「そういえば、貴方は柔術も剣術もやらないんですか、麗羅」
「うちはほら、特殊能力系だから」
にっこりと麗羅が笑う。
霧風のように雲や霧を呼んだり、麗羅のように焔を扱ったりする一族は特殊系と呼ばれ、里では武道が必須科目とはされていない。霧風も本来は免除される特殊系能力者だったが、父親の方針で剣術を選択している。
「わざわざ、熊なんかとくんずほぐれず汗まみれになんか、なりたくないもんねえ」
「…そういうことを言うから、特殊系が裏でいろいろ言われるんですよ」
「能力のない奴らには好きに言わせておけばいいんだよ」
あくまでも麗羅はマイペースだ。
そこが彼とは話しがしやすいところなのだが。
「まあ、ぼくが見たのは、半時くらい前に熊公と一緒に項羽か小龍が裏山の方向に行ったってことだけだね。山に用があるのならまだその辺りにいるんだろうし、用がなければもういないと思うけれど」
「ありがとう。行ってみますよ」
「うん」
ひらひらと麗羅が手を振るのを背に、霧風は小龍を探しに裏山に向かった。
ああ、やはりいる。
人影が見えたので、霧風が声をかけようとした。
やはり小龍だったようだ。
「霧風」
気配に振り向いた小龍は、あからさまに間の悪い顔をした。
「……どうしたんです?」
「……今、来たの?」
「ええ」
どうしたのか、ともう一度聞き返す前に、霧風は小龍の衣服が汚れていることに気がついた。
「転んだんですか?」
「……熊に襲われかけた」
「こんな人里に?」
言ってから、思い当たることがあった霧風は茂みの方に行こうとした。
「いいから!霧風、行くなって」
小龍の制止を振り切って、霧風は茂みの奥に進んだ。
「……説明してください」
幾分怒りを含んだ口調で霧風が小龍を問いつめる。
「説明も何も」小龍が天を仰いだ。
気絶をしている大男は下半身になにも身に着けていない。
「呼び出されて来てみたら、俺を項羽と間違えたらしい」
「……項羽と? って、こいつは何を貴方にするつもりだったんですか?」
「……知るか」
「……」
霧風はあまりのことに二の句が継げなかった。
「もういいだろ、帰るぞ」
「小龍!」
霧風が小龍の後を追う。
小龍がふと足を止めた。
「兄貴には、言うなよ」
「なんでですか」ムッとして霧風が問い返した。
どう考えても元凶は項羽にありそうなのだ。
「項羽は、自分の身体はおもちゃみたいに扱うことがあるんだけれど、」
小龍がため息をつく。
「俺のことになると、熊公を殺しかねない」
わたしだって、と言いかけた言葉を霧風が呑み込む。
もちろん小龍が簡単に何かされるとはとうてい思えないのだが、それでも。
「……小龍」
「何」
面倒くさそうに小龍が返事をした。
「そのままその格好で羽根屋敷に帰るつもりですか?」
「うん」
「ダメです」
今度は小龍の腕を霧風が捕まえた。
「とりあえず!うちに寄って、その服を綺麗にして、お湯に入ってください」
「大丈夫だって。なんでもなかったんだし」
「それでもです」
「強引だな!おい、霧風!」
何にむかついているのかはさておいて、霧風はかなり強引に小龍を自分の家まで連れて帰った。
「ああら、ぷちどらちゃん!あらあら霧風、どうかしたの?」
「母さん、お湯沸いてる?」
「喧嘩したのかしら?」
「はあ、まあ」 小龍が気まずそうに口の中で答えた。
「で、勝ったの?」
母親がいたずらそうな目で小龍をのぞき込んだ。
「…はい。勝ちました」
「あらあら、ならよかったじゃない」
「さ、あがって頂戴。いつでも大歓迎よ。ほら、上着も脱いで。ね。お夕食も食べていくんでしょ?」
小龍は遠慮をしていたが、結局母親のペースに負けて、霧屋敷に上がり込むことになった。
風呂場に入った小龍を見届けて、少しばかりホッとした霧風は、ふと指先に痛みを感じた。
見ると、かすかに切れたらしく、指に一カ所、赤い血がにじんでいる。
茂みに生えていた熊笹で、いつの間にか指を切ったらしい。
「……」
指を口に含み、鉄の味のする血を舐める。やはり、とどめをさしてこようかなどと物騒なことも考えたが、そんなことをすれば小龍が困るのだろうと思いとどまる。
イライラして縁側で爪を噛んでいると、湯上がりの石鹸の匂いがして、浴衣に着替えた小龍が上がってきた。
「霧風」
後ろから声をかけられたが、霧風はなんとなく答えずに背をむけたままでいた。
「……ありがとな」
コツン、と霧風の背中に小龍の額があたり、柔らかい体温が伝わってくる。
「…なんて言うか、本当に、大丈夫なんだけれど、」
小龍が言葉を探している。
「大事にしてくれているみたいで、すこしうれしい」
そんな、言葉だけで満ち足りてしまう自分も居て。
しばらくそのまま風の音を聞いている。
でもまだ抱きしめることが出来ないでいる霧風なんだな。
実は書いたのは結構前で、去年の夏か秋くらいだったかな?
麗羅初登場の作品でした。
(up:200604010)
なんだかちょっといい感じだぞ。
2006/04/10(Mon) 12:26