班雪 (はだれゆき) それを見かけたのは偶然といえば偶然だったのだが。 課題が早めに終わった霧風は屋上で灰色の冬の空を眺めていたところ、裏庭の奥に人影を見つけて我知らず微笑んだ。外で小龍の姿を見ることができるだけで、今日は一日幸せに暮らせそうだと、素朴に胸の奥が暖かくなったのだ。 もう授業は始まっている時間だろうに、小龍が級友の一人と何かもめている様子で、相手をなだめて、ベンチに座らせる姿が見えた。髪の長い相手は、道場の雷炎だろう。小龍の幼馴染で、いつも一緒にいる仲良し三人組の一人だ。あの学年は小龍を中心に、冷静な雷炎と熱血の十蔵で構成されているというイメージがある。 雷炎は一時期すさんでいて、あまりよくない噂も聞いていたが、小龍が里に帰ってきてからは剣道にも精を出しており八忍入りも期待されている一人だった。すらりとした長身の端正な顔立ちの青年で、小龍が気を許して無邪気に笑っている隣で微笑んでいる姿は絵になると女子がよく騒いでいる。 「…」 話がついたのか、立ち上がろうとする雷炎の袖を小龍がひいて、ベンチに座らせる。 二人とも一旦決めたら頑固そうな感じだな、と霧風はのんびりと眺めていた。 何事かを話していた小龍が、ふと雷炎に顔を近づける。 キス。 雷炎も驚いた様子で、だが、それよりも驚いたのは霧風だった。 二人ともまさか霧風がこんなところから見ているとは気がつかなかったのだろうが、見てはいけないものを見てしまったことだけははっきりと感じた霧風は、灰色の屋上にそのまま座り込んでしまった。 * * * 冬の学芸会の季節が近づいてきて、霧風の学年は音楽科の担任が例年通り非常な情熱で優勝を目指して丁寧な指導を開始していた。学芸会は学年ごとに出し物をすることになっていて、保育園児のかわいらしい踊りから高校生の本格的な演舞まで、さまざまな出し物が予定されている。 「白雪姫らしいぞ」 劉鵬に聞かれた項羽が何の気なしに答えていた。 「姫は道場の雷炎、王子がうちの弟。継母が十蔵でさ。なんかサービスシーン盛りだくさんで優勝狙うらしい」 「なんで男がお姫様なんだよ」劉鵬が間抜けな声を出す。 「俺にきかれても困る」項羽も首をかしげる。 「雷炎って…」 思わず霧風が口を開いた。 「ああ、お前剣道やってっから知ってるだろ?道場の長男。髪の長い」 項羽が無造作に答える。 「…小龍とよく一緒にいる子ですよね」 「そうそう。ウマが合うらしいな。しっかし、あの学年かわいい娘なら他にもいくらでもいるだろうに、なんでまた男同士でそんなんやらせるかねー」 「何か考えがあるんでしょう」 霧風の言葉に、項羽はよく光る目を向けただけだった。 * * * 「うわあ、雷炎って綺麗な子だねえ」 妙にテンションが高いのは麗羅だ。霧風は不機嫌そうに眉をひそめただけで返事の代わりにする。 「見なかったー?小龍の王子様もかっこよかったよー。一緒に写真撮ってもらっちゃったー」 「麗羅、出番はないんですか」 「縁の下の力持ち・裏方だもーん」 あっさりと麗羅が答える。 「さっき衣装着けてお姫様抱っこの練習してたんだよ、2階の廊下で。女子がもう大騒ぎでさ」 「貴方も一緒に騒いだくちでしょう」 「ふふっ、まあね」 麗羅が楽しそうに霧風を眺める。霧風はいかにも興味がないといった顔で手元の楽譜に目を移した。 「白雪姫は二時からだって。一緒に見に行こうか」 「楽器の片づけを手伝うことになっています」 「いいじゃん、見に行こうよ。片付けだって1時間全部じゃないでしょ?」 「しつこいですよ、麗羅」 「…残念」 麗羅がつかんでいた霧風の腕を離す。絶対、何かをたくらんでいる。 そのまま午後の出し物の時間まで、霧風はずっと忙しいふりをしてすごした。 * * * 「なんで見に来なかったんだよ」 雪がまだまだらに残っている講堂の裏で、一人休んでいた霧風は後ろから声を掛けられる。 「すごく受けたんだけどな」 見にいかなかったことはばれているらしいので、霧風はあえて否定も肯定もしなかった。 きらびやかな王子の衣装をつけたままの小龍が講堂にもたれて立っている。 「白タイツじゃなかったんですか」 「それは免れた」 小龍が笑う。 舞台が終わったばかりのようで、頬がまだ紅潮している。 「大成功だったようですね。こちらまで歓声が響いてきました」 「ラストがすっげえ盛り上がり」 「…キスシーンがうまくいきましたか」 「うん」 屈託なく小龍が答えた。 「絶対見に来ればよかったのに。俺少しだけセリフあったんだぜ」 「へえ、どんな?」 「・・・」 小龍が霧風の顔を覗き込む。 「キスしたのは、白雪姫と従者1。」 「は?」 「女子の計略でさ、王子が姫を起こそうとすると、従者の一人が飛び出して叫ぶわけ。『その姫を本当に愛しているのはわたくしです』って。で、俺は『な、なにい!』と叫ぶ」 「…」 「そのまま従者が王子を押しのけてお姫様を略奪、ハッピーエンドになるんだよ」 「どういうからくりです」 「ナズナっているだろ、図書委員で、大きな眼鏡の子」 「一見おとなしい子ですよね。お下げの」 「そう。その子」 霧風も図書委員なので、小龍の学年の図書委員くらいは顔を見知っている。 物静かな印象の少女だったが、自分の意見はわりとはっきり言うタイプの生徒だった。 「彼女、2月で転校するんだよね。それで、クラスの女子が計画したんだよ」 「…言っている意味がわかりません」 「霧風ってわりにぶいなあ。ナズナは雷炎のことが好きなんだよ」 「…雷炎はそのことを知っていたんですか?」 「言ったら雷炎がおとなしくドレスなんか着るわけないだろー。内緒だよ」 「…かわいそうに」 霧風がため息に似た声を出した。 「なんで?」 小龍が無邪気な顔で首をかしげる。 あの白雪姫は王子のことが好きなのに。 本当は、白雪姫は毒りんごを食べたまま、目なんか覚まさないほうが幸せなのかもしれない。 目を開けてしまったら、きっと知らないほうがいいことをたくさん味あわなくてならないだろうから。誰かを好きになることもなく、眠り続けていたほうが幸せなのかもしれないのに。 それぞれがそれぞれの思いを抱いているのに、きっとお互い本当にはわかりあうことはないのかもしれない。 雪はまだらに解けて、間から黒い土が覗いている。
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