石竹

石竹 (せきちく)

「俺は、反対。」
「そこをなんとか頼めないかなあ。…お前たちしかいないんだよ」
キッパリと断る雷炎に、小龍が頭を下げている。間に立った十蔵は、ほとほと困った様子で、二人を交互に見た。

「例の件は、羽根の御大が噛んでいるんだ。大人がやろうってことを、俺たちが止められるものか」
「でもさ、雷炎、小龍の言い分も俺は分かるぜ?」
「俺だって分かっている。確かに、助けてやりたいとも思う。だがな、それとこれではワケが違う。十蔵の親父が反対しているってわけじゃないんだ。相手は羽根の御大だぞ? 御大と、本陣が決めたことを俺たちが覆せるものか」
「わからないじゃないか」
小龍がぐっと唇をかむ。その表情には弱いのだが、みすみす小龍を危険に踏み込ませるようなまねはしたくなかった。雷炎も負けずに声を大きくする。
「冷静に考えてみろ。お前らしくもない。…それとも、あの女に惚れたのか?」
だったら俺たちに頼むのは筋違いだ、と続けるつもりだったのだが、小龍はあっさりと首を横に振った。

「そんなんじゃないよ。ただ…」
「ただ、なんだよ」
「ただ、あの子はいつも、たった一人で戦っているもんだからさ」

 雷炎たちがもめているのは、現在羽根屋敷で預かっている少女の一件だった。彼女は伊賀直系の最後の姫なのだが、総帥だった父親の死と同時に後妻に息子が生まれたため、風魔で始末して欲しいといわれている。彼女が伊賀の遺産一切合財を放棄するという誓約書にサインすれば里に戻すという条件なのだが、少女は頑として首を縦に振ろうとはしないのだった。

 今度のその指関西地方への任務中にどさくさにまぎれて彼女を傷つけるような計画が大人たちの間で出ているらしい。大人たちの思惑に背き、できるなら彼女を助けたいというのが小龍の考えだった。
 無論、小龍たちには直接彼女に危害を加えるような命令がされたわけではなく、彼女を連れて任地に赴く際にそれぞれ別行動を取り、少女を一人にする時間をなるべく作るように、と遠まわしに命令されただけだった。小龍は羽根の御大と呼ばれる自分の父親が大人同士で交わしている密談を聞いて、二人に協力を頼んでいるのだった。

「だから、守りきれないって。あきらめろ」
「わからないじゃないか」
「相手は伊賀だぜ?たとえ今回しのげても、次回もその次もしのげるという保障はない」
「…それは、そうだけれど」
「それよりはあの女を説得するほうが得策だろう。一筆書けば命まではとらねえって言っているんだから」
「雷炎」
「とにかく、俺は反対。知らんふりしてろって命令なんだ。知らんふりをしていればいい」
「…雷炎たちにしか、頼めないんだ」
「そりゃそうだろうよ」


「項羽は?知ってんのか?」
十蔵が口を挟む。小龍が首を横に振った。
「…項羽が無理なら、劉鵬もダメか」
「うん」
「とにかく、俺たち三人じゃどうしょーもねーよ。他に仲間引き入れないと。竜魔とかさ」
「本陣は無理だ。露見したら、竜魔の立場がなくなる」
異形の力を持つ隻眼の少年は、様々な制約の中、本陣預かりでいることで里に存在することが許されている。

「霧風は?」
十蔵が思い出したように言った。
「お前、霧屋敷の若様と仲いいじゃねえか」
「霧風か…頼めないな」
小龍が首をかしげる。
「霧の御仁も含んでいる件だ。霧風にも頼めない」
ふと、雷炎は通りの向こうに霧屋敷の若様の姿を見た。こちらの様子を伺っているようにも見える。


 いや、彼はきっと、小龍が頼んだら、家や父親を裏切っても、小龍の味方につくだろう。
 雷炎は漠然とそれを知っていたが、それを口に出すことはなかった。言う必要もない。


 雷炎と目があったことに気がついたらしく、霧風が顔を背けた。クラスの女子が、端正な顔立ちの一個上の先輩がよくこちらを見ているんじゃないかと噂していたが、彼が見ているのは、自分ではなく、小龍だと思う。自分が見られているかどうかくらいは、雷炎にもわかるつもりだった。

「…そうだな」
霧風が目の端でこちらを見ていることを計算しながら、雷炎が小龍の頭を抱きすくめる。
「わかった、協力してやる。…今回だけだぞ?」

 親友らしい、優しい声で雷炎が小龍の耳元に囁いた。
 小龍がぱっと顔を輝かせて顔を上げる。

「仕方ないな。十蔵、そういうわけだ」
「雷炎がのるってんなら俺に異存はないぜ」
 十蔵がむしろ面白そうだと身を乗り出す。

 風が夏の終わりの湿り気を帯びたまま、彼らの間を吹き抜けていった。





    


石竹、は唐撫子、ともいい、初夏の季語。「撫子」の裏話なのでそんなタイトル。
撫子は大和撫子、というくらいで石竹に比べるとやはり可憐な印象。秋の季語。
これに「傷口」では甘酒が出てきたり(甘酒は本来は夏の季語。甘酒の起源は古く、『日本書紀』で、応神天皇が吉野に行幸した時に、古代大和の先住民(国栖・くず)が「醴酒(こざけ)」を献じたという記述があるのが日本の文献に出てきた最初なんだそうな。この「醴」という漢字そのものに、『あまざけ』という意味があるそうです。)、続く「月光」は秋の季語だったりして。夏から秋にかけての一連の話、というわけで。

 蕾ながら 石竹の葉は 針の如し  正岡子規 

雷炎のイメージで。





(20060117)

初出・2006/01/24(Tue) 15:09