撫子



撫子

灰色のセーラー服は、風魔の里のものとはデザインも違っていて、彼女が異邦人だということはそれと意識しないでも、一目でわかった。
 思いつめたような瞳の少女は、陰気な、といっていいほどのかたくなさでいつも口を真横に引き締めていて、そういえばその瞳も灰色のイメージがあった。

「じゃあ、彼女が伊賀の?」
 弁当を広げながら霧風が顔を上げた。
「そう。羽根屋敷で預かることにしたらしいんだけどね」
麗羅が言いかけて、ほんの少し意地悪そうに微笑んだ。
「初日に、項羽と大喧嘩やらかしたらしいよ」
「…貴方のとこには、一体どういうルートでそういう情報が伝わるんでしょうね」
「そこはそれ…」
麗羅がさらに付け足そうとしたとき、風が鳴った。

「お、霧風はっけーん!」
顔を出したのは小次郎だ。どこを抜けてきたのか、頭には小さな葉っぱがたくさんついている。
「小次郎。一緒にお弁当食べる?」
麗羅が一見炎の一族には見えない柔らかな笑みで小次郎を迎える。
年少の兄弟は素直に笑顔で応じると、麗羅と霧風の間に座り込んだ。
「霧風のから揚げ、うまそうー!」
「一個だけなら分けてあげます」
「霧風、なにかと交換のほうがいいよ。甘やかすとよくない」
「そうですね、ではその肉団子と」
「えええー!肉団子はダメ、煮付けじゃだめ?」
「肉には肉でしょう」
「ちぇー」

小次郎の乱入によって食卓は急に賑やかになったが、麗羅がふと箸を休めて小次郎に尋ねた。

「小次郎、最近いつも小龍とご飯たべているのに、今日はなんで一人でここに来たのかな?」

「だってさあー」
小次郎が口を尖らせた。

「小龍ってばよ、ここんとこ伊賀の彼女とずっと一緒でさー。俺のこと構ってくんねーんだもん」
「伊賀の彼女?」
知っているくせに麗羅が笑顔で聞きだす。案の定、小次郎は無邪気に話し始めた。
「ほら、こないだ風魔で預かることになったっていう、伊賀の本家筋の女の子。灰色のセーラー服の。知らない?」
「そういえば、見かけたことがあります」
狸め、と霧風は心の中で舌を出す。麗羅あたりなどはたいした政治家になるのだろう。
「その子がさ、今羽根屋敷で預かっているからって、小龍がお世話番をまかされたらしいんだけどー」
「…小次郎、しゃべるか食べるかどっちかに集中したほうがいいですよ」
霧風が思わず口を挟む。
 とりあえず、しばらく小次郎は食べるほうに集中することに決めたようだった。
 
お茶を流し込んで小さくむせると、小次郎は続きを話し始めた。
「いや、悪いヤツじゃないと思うんだけどさー。クラスの女子となじまないんだよね、そいつ。小龍がすげえ気を使ってんの、俺でもわかるんだけど。そんで結局、いつも小龍が一緒にいるみたいになっちまってさー。俺も今日はいづらかったから誰かと弁当食おうって思ってさ」
「ふうん」
麗羅が小次郎の頭をいい子いい子となでる。
「…そうなんだー。霧風、知ってた?」
「…いえ?」
麗羅が面白いことがあるといいなあ、といった顔で霧風を見る。
視線はあくまでやわらかいが、ここでポーカーフェイスを崩すと、あとでどんな尻尾を捕まれるかわからない。

 伊賀の本家筋の娘を預かるという話を聞いたのは、一週間ほど前のことだった。
本陣からのお達しだというので、霧風はてっきり本陣で生活をすることになったのかと思っていたのだったが、少女が羽根屋敷で暮らすことになっていたとは、知らなかった。

 クラスメートに呼ばれた小次郎が駆けていくと、食事の終わった麗羅が秋の空を仰いだ。

「やるもんだ。伊賀っていえば忍びじゃあ名前のある一族だからね。羽根の御大は、やり手だねえ。」
「どういう意味ですか」
「伊賀の本家のお嬢様らしいんだけどさ、後妻に息子が生まれて、邪魔になったらしい。それで、留学といえば聞こえはいいけれど、風魔に追い出されたらしいよ」
「…」
「どっかで聞いたような話だねえ」
麗羅が、口調だけはのんびりと言いながら、弁当箱を布に包む。

「羽根の弟の方も、兄より優秀だとまずいんで、他の里に捨てられたことがあったっけ」
「あれは、捨てられたわけではないでしょう。人聞きの悪い」
「親戚に里子に出されたって、同じことだよ」

  麗羅が言っているのは、小龍のことだ。

 数年前、まだ幼い小龍は羽根の一族の親戚筋に里子にだされたことがある。
2年経って、向こうで跡継ぎになる子供が生まれたということで、風魔の里に返されたのは、最近のことだ。

「項羽と気が合わないのはわかる気がするね、気が強そうな女の子だから」
「そうですか。おとなしそうに見えますが」
「いやいや、アレは芯が堅くて気が強いね。それも項羽が一番嫌いそうなタイプの頭のよさだ。ま、小龍が親身になって世話するのも、それはそれでわかるな。自分のこと、かさねちゃうんじゃない?」
「…さあ」
霧風は気のない風の返事をする。


  少女の名前が撫子というということは、随分あとになってから知ったことだった。



 大人たちの動きが変だな、とわずかに霧風が感じ始めたのは、それから一月ほどのことだ。なにがどう変だ、とはっきりといえるほどのものではなかったが、自分たちの知らないところで、何かが動いている感覚はあった。

 小龍の姿はよく見かける。

いつの間にか目で追っているからかもしれない。
 自分が彼を意識しているという自覚はある。だけど。
 この気持ちを誰にも言うつもりはなかった。
 こんなことを口にしたら、彼を困らせることになることになるだろうから。
 確かに、ただの「兄貴のクラスメート」よりももう少し、もう少し親しくなってみたいとか、もう少し仲良くなってみたいという気持ちはあったけれど、多くを望む気はなかった。
 それよりは、この気持ちがこのまま、いつか緩やかに消えていってくれればそれに越したことはないと思う。


 項羽に呼び止められたのはそんな時期だった。
「霧風、ちょっといい?」
項羽とは学年が一緒だが、そう仲がいいほうではない。
改めて話しかけられるのは珍しいことだった。
「お前、来週何か任務入っている?」
「…いいえ?」
「ふうん、そうか。…ならいい」
不機嫌そうな表情でそいう言い捨ててきびすを返そうとした項羽を、霧風は逆に捕まえて、話を聞きだした。
「何の話ですか」
「だから、いいって」
「さきに話を聞いてきたのは貴方でしょう」
少し迷った表情を見せてから、項羽は口を開いた。
首をかしげてうつむく感じは、弟によく似ている。

「…弟に、任務命令が下ったんだ。来週、関西方面に行く」
「小龍に、ですか」
「ああ。その任務のメンバーの中に、うちにいる伊賀の小娘もいる」
「それがどうかしたんですか?」
「任務の内容からいって、あきらかにメンバーの力が足りない。俺も任務からはずされて、不自然な東北への出張が命ぜられている。大人も付いていく様子がない」
「…」
「弟の力が足りないとは思わないが、伊賀の小娘を連れて行くことを考えたら、弟の動きは限られる。本陣に掛け合ったが、変更はないというんだ」
「どういうことですか」

「失敗を前提としている任務だとしか、思えない」

「そんな、まさか」
「だから、小龍とわりと仲がいいお前が、別動隊で任務に入っているのかと思ったんだが…見込み違いだったようだな。すまん、邪魔をした」
「項羽」
どこへいくんです、と霧風が声をかける間に、項羽の姿は消えた。
 本陣に向かったのだろう。霧風も後を追った。



「くどい。変更はない。」
総帥が断固とした声を出す。
「しかし。じゃあせめて俺を弟と一緒の任務につかせるべきだ」
「お前には別の任務を与えたはずだ、項羽」
「あんなのは、それこそ誰でもできる任務でしょう!あれでは、誰か怪我をするか、最悪任務に失敗します。…総帥、お考え直しください」
項羽の声を背に、総帥が立ち上がった。
ふすまを開けたところに、霧風が立っていることに気がつき、総帥が目を上げて応じる。
「霧風か。何用だ。お前もわしに意見しに来たのか」
「…よろしければ、わたしを、関西の任務に参加させてください」
「ならん!この話はこれまでだ!項羽、家に帰り、すぐ小龍を呼べ!今日中に任務に出向いてもらう!」
「総帥!考え直しを!」
「問答無用!!」





 小龍たちが里に帰還したとの報が届いたのは、3日後のことだった。

夜から雨が降る寒い朝で、霧風は父親の部屋の騒がしい気配で目が覚めた。
項羽は東北への任務につかされて、里を留守にしている。
霧風にも見張りがついていることはここ数日気がついていた。

「…父上」
「む、起こしたか。なんでもないので、休みなさい。まだ早い」
「何があったのですか」
「なんでもないと、申しておる」

霧風が無言のまま父親の前に正座すると、やがて父親は小さくため息をついた。

「そうか、お前は、小龍くんとは仲がよかったな」


   ○      ○      ○


雨を避ける様子もなく、天を仰ぎながら濡れるにまかせて、小龍が立っていた。

「…小龍!」

霧風の声に、ゆっくりと小龍が顔を向けた。
「どうしたの、こんな早朝に」
「…十蔵が、怪我をしたって…」
「うん。雷炎もあぶなかった」
「貴方は」
「俺は、守れなかった」
「…伊賀の…」

「最初から、親父たちは、伊賀の一族と裏で手を結んでいたんだ」
「…なんですって…?」
「伊賀の本家は、彼女が邪魔だった。できたらこっちで始末してほしい、ということだった」
「…始末…」
「彼女が、伊賀の本家をあきらめる、という一文を書けばそれでいいということだったらしいけど、彼女はそれを拒否したんだ」
「…あの子が…」

 あの、思いつめたような灰色の瞳には、そういうものが詰まっていたのだと、霧風は今になってそれを知った。

「なんとか守れると思ったんだけどなあ」
小龍が小さく笑う。
「雷炎だちには無理だって言われたんだけどね。まあ確かに、伊賀と風魔があそこまで本気でつぶしにくるとは思わなかった」
「…それで、あの子は…」
「アキレス腱を切られた」

「もう一生、走れない」

 霧風は言葉をなくす。

「馬鹿みたいだ。結局俺は何もできなかった」

小龍が顔を覆った。雨が降る。日はまだ昇らない。
傘を落として、霧風は小龍を抱き寄せた。

濡れた前髪越しに、小龍が顔を上げる。
それ以上小龍の口から言葉を聞くことが切なくて、唇をふさぐ。

 雨の音しか聞こえない。

 初めての口付けだったのだけれど。


 

 

(up:20060115)

  これがファーストキス。
 「月草」のセカンドキスに進みます。
  弱っているところに付け入ってしまって、あとで落ち込むんだ、霧風きっと。

関連SS・裏話が「傷口」、後日談&セカンドキスのネタが「月草」。

 




2006/01/15(Sun) 21:16